2017年08月29日

8/29の日記

アメリカの音楽評論家アーサー・M・エーブルが書いた
本を読んでいる。この人が1890年から1918年ヨーロッパに
滞在中に直接インタビューした大作曲家たちが語った宝物の
ような言葉が次々に目に飛び込んでくる。

ブラームス、リヒャルト・シュトラウス、プッチーニという
歴史上の大作曲家たちが居並ぶ

その中でもプッチーニの話は興味深かった。

ドイツとイタリアのお国柄の違いを指摘し、イタリア人が
ドイツの作曲家にまさっているのは、長調で限りなく深い
悲しみを表現する能力だ、という。

逆に例えばワーグナーのような劇的な表現はイタリア人に
はできない、とも。

面白い。

指揮者のトスカニーニについて語っているところも面白か
った。

自分の曲だけでなく、他の作曲家の曲も、トスカニーニよ
って命を吹き込まれる。その力は天才的で、ある意味再作
曲家と言える、という。どちらも喧嘩っ早く、激しく言い
合うけれどちゃんとお互いを認め合っている、と。

トスカニーニのファンとしてはうれしい話だ。

『蝶々夫人』についても触れている。その初演は不評で、
舞台を中止するくらいのブーイングの嵐だったらしい。

ストラヴィンスキーの『春の祭典』とは違う意味でのブ
ーイングではあるけれど、プッチーニにもこんなことが
あったのだなあ。

ブラームスも、リヒャルト・シュトラウスもぞれぞれ理解
されないという不運な目に遭っている。

さかのぼれば、バッハにしたって、モーツァルトにしたっ
て、ショパンにしたって、何十年もたってから再評価され
たんだもんなあ。すごい話だよなあ。

え、自分のことに持っていこうとしてるだろ、って?

いやいや、まさか、そんなおこがましいを超してとんでも
ないことは考えてない。

これっぽっちも・・・

あ、少しくらいは・・・

ま、負けてたまるかっていう気概は持たないとダメだろ。
posted by ミヤマ カヨコ at 16:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする